本日21時からのNKHスペシャルでガダルカナル島での一木支隊の番組が放送されます。
ガダルカナル島の戦いについてさらりと
海軍はソロモン諸島・ガダルカナル島に飛行場を建設しており、そこを足掛かりにして
米軍はそれを阻止しようと急遽攻略部隊を派遣。設営隊が主力の海軍部隊は早々に
ジャングルに撤退して飛行場は米軍が占領しました。
飛行場占領の報を受けて海軍は航空部隊・艦艇で反撃しましたが撃退できず、
陸軍に奪還作戦の協力を依頼、そこでグァム島で待機していた一木支隊に
飛行場奪還を命じました。
一木支隊は上陸を果たし、戦いを挑みましたが戦死800名、生存者100名程度。
米軍の戦死者は34名と完敗で一木大佐は自決なさいました。
ガダルカナル島の戦いは伸び切った補給線、制空権がない戦場となったため、
上陸した将兵は米軍・飢餓・マラリアなどの疫病との戦いとなり、ガ島(飢餓のガ)と
呼ばれ戦闘よりも補給の途絶により餓死が多かったそうです。
ガ島将兵はこんな事を言っていたそうです。
「食なし、将兵に力なし、参謀の能無し」
「歩けるものは1週間、立てなくなれば3日、瞬きしなくなれば1日」(寿命診断)
結局、補給は駆逐艦により細々と続けられましたが兵力が2万余の将兵を賄うことも
出来ず、ガ島より撤退。ミッドウェー海戦と並び戦争の転換点となりました。
では、この戦闘において問題点はなんだったのでしょうか?
1.陸軍もガ島で海軍が作戦を行っているのを知らなかった。
2.制空権がなく、輸送は駆逐艦が主体となり砲の揚陸が出来ず火力が
不足していた。
3.駆逐艦の輸送力が少ないので補給が滞った。
4.兵力の逐次投入で少ない兵力で戦いを挑み、負けた。
5.情報収集を疎かにして戦いを挑んだ。米軍は3000名程度と過小評価したが、
実は13000人以上おり兵力差は7~8倍、おまけに詳細な地図もなく、上級司令部の
無知さ加減。
この戦闘では一木大佐は部隊を全滅させた指揮官として非難の対象とされましたが、
情報軽視の傾向が強い日本軍が非難されるべきで一木大佐個人の力量では如何ともしがたいのが如実に分かります。情報収集、分析の重要性が大事ですね。